映画『ほどなく、お別れです』を観て

しおんブログ樹木葬2026年03月01日

映画『ほどなく、お別れです』を観て、周南で墓じまいや終活のご相談をしている私が感じたことを書きました。先日、映画『ほどなく、お別れです』を鑑賞してきました。先日、映画『ほどなく、お別れです』を鑑賞してきました。 東京スカイツリーの麓にある葬儀場「坂東会館」を舞台に、死者の想いを受け止める新人プランナー・美空(浜辺美波さん)が、厳しい指導で彼女を導く漆原(目黒蓮さん)と共に、数々の別れに向き合う物語です。

ほどなく、お別れです

私自身、葬儀業界に「進物屋」として20年携わってきました。主に通夜・葬儀の受付を担う立場として、これまで8,000件を超えるお別れの場に立ち会ってきたことになります。スクリーンに映し出される一分一秒を争う現場の緊張感、そして出棺の際に優しく、けれど厳粛に告げられる「ほどなく、お別れです」という言葉の響き。それらは、長年現場の空気を吸ってきた私にとって、一介の観客以上の重みを持って胸に迫りました。


「作業」としてこなしたことは一度もない——8,000件の現場で貫いた誇り

20年間で8,000件。膨大な数に聞こえるかもしれません。しかし、私はこの20年、ただの一度も「こなす」という感覚で仕事をしたことはありません。

世間では葬儀を効率的に処理する側面ばかりが注目されることもありますが、受付という場所は、ご遺族の深い悲しみだけでなく、故人への溢れるような愛や、生前の温かなエピソードが真っ先に届く場所でもあります。

劇中で漆原が「遺族にとってお別れは二度とやり直しのきかない時間だ」と語るように、私もまた、目の前のご当家にとって唯一無二のこの時間を、どれほど大切に守れるかに心を砕いてきました。悲しみの淵にいる方にどのような言葉をかけ、どのような表情で寄り添うか。一つひとつの現場で心を配り続けてきた20年間の経験は、私の揺るぎない誇りとなっています。


「漆原さん」という存在が刺さった理由

この映画、俳優さんたちのお芝居の素晴らしさに、最初から最後まで圧倒されっぱなしでした。なかでも、漆原さんの存在が頭から離れません。

他の遺族には丁寧に区切りをつけてあげる漆原さんが、自分自身だけはまだ区切りをつけられていない——。妻を不慮の事故で亡くし、「俺はまだ、区切りをつけられてない遺族なんだ」とあの諦めたような、寂しそうな笑顔で打ち明けるシーン。現場で長年遺族に寄り添ってきた者として、その対比の重さが深く刺さりました。

ほどなく、お別れです

クライマックスで美空ちゃんに「奥さんに会ったらなんて言いますか?」と聞かれ、漆原さんが「ただいま、かな。……いや、分かんないな。会うまで考えとくよ」と答えるシーン。あの言葉には、死ぬまで想い続けるという覚悟と、それでも生を続けていく静かな意志が同居していました。

業界の人間として痛感するのは、みんながみんな、うまく「着地」できるわけではないということ。葬祭プランナーが全力で寄り添っても、本人がまだ区切りをつけられないケースは現実にある。そして、人に区切りをつけ続けてきた人が、自分だけ着地できないまま生きていることの重さ——漆原さんはそれを体現していました。


葬儀の「歪み」を正すために——独立、そして終活への転換

一方で、葬儀が始まってからしか関われない立場には、拭い去れない歯がゆさもありました。 故人の生前の意向が全く反映されていない寂しい式や、お別れの最中に噴出する親族間の「争相続(そうそうぞく)」。そんな「お別れの歪み」を何度も目にするたびに、「もっと早い段階から関われていれば」という思いが強くなっていきました。

以前は特定の葬儀社と提携して活動してきましたが、やはり組織の中にいると、自分の理想とする寄り添い方が難しい場面もありました。信念を巡る葛藤の末、私はその葬儀社との提携を解消し、自らの足で「生前」から寄り添う道を選びました。

現在は独立し、お墓じまい樹木葬海洋散骨といった供養の選択肢のご案内から、任意後見制度を活用した生前の意思決定支援まで、その人らしい人生の終い方をトータルでお手伝いしています。

なぜ、私たちがこの分野に携わるのか。それは、8,000件の現場で繰り返し目にしてきた「間に合わなかった」という現実があるからです。故人の想いが反映されないまま進む式、お別れの最中に噴出する家族間の摩擦、誰にも伝えられなかった「本当はこうしてほしかった」という声——。葬儀が始まってから関わる立場では、どれだけ誠心誠意対応しても、変えられないことがあります。だからこそ、「もっと早い段階から関われていれば」という思いが、やがて私の原動力になりました。

終活とは、死の準備ではありません。「自分はどう生きたいか」を改めて問い直し、その答えを形にしていく作業だと思っています。その過程に伴走できることが、葬儀という「結果」の場に立ち続けてきた私たちにできる、最大の恩返しだと感じています。


看護と美容が紡ぐ「寂しくない最期」の形

さらに現在、私は訪問看護リハビリステーションの運営にも関わっています。 特にターミナルケア(終末期看護)の現場において、私が今、最も情熱を注いでいるのが「美容と終活」の融合です。

死が近づくからといって、豊かに生きることを諦める必要はありません。髪を整え、肌をケアし、自分らしく美しい姿でいることは、人としての尊厳を守り、生きる活力を呼び起こします。私たちは看護という医療的な支えに加え、美容を通じて、ご利用者様が人生の幕を下ろすその瞬間まで、「自分らしく、豊かな生活」を送れるよう寄り添っています。

「最期の最期、人生を終える瞬間に、少しでも寂しい想いをしてほしくない」

それは、劇中で死者の声に耳を傾け、その願いを叶えようとした美空と同じ願いです。自分の人生を納得のいく形で整え、最期まで慈しまれて過ごすこと。それこそが、究極の「良いお別れ」への準備運動になると信じています。

そして思うのです——漆原さんのような人にも、誰かがそっと寄り添える社会であってほしいと。人に区切りをつけ続けてきた人が、自分自身の幸せをも諦めないでいられる社会を。


「ほどなく、お別れです」を温かな響きに変えるために

映画のタイトル「ほどなく、お別れです」は、現世の旅立ちを告げる境界線の言葉です。 かつては「時間切れ」を告げる残酷な言葉に聞こえたこともありました。しかし、生前から準備を整え、最期まで自分らしく生き、慈しまれた人にとっては、あの世で再会するまでの「しばしの別れ」を告げる、優しい合図になり得ると感じています。

20年の葬儀現場で培った「お別れを重んじる心」と、訪問看護の現場で向き合う「今を生き抜く力」。 私はこれからも、お一人おひとりの人生に最大限のリスペクトを込め、誰もが穏やかに「ほどなく」を迎えられる社会を目指して、走り続けます。

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